危険な暑さ、禁じられた遊び 「亜熱帯」を生きる令和の子供(2024年8月5日『産経新聞』)

息子は4歳 還暦パパの異次元子育て
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上野・不忍池で。暑い。けれど鮮やかな青空
還暦を迎えたベテラン新聞編集者が遅ればせながらパパになり、子育てに奮闘中。4歳になったばかりの息子との日々で思うこと、感じたことを綴ります。
朝、家から一歩出たとたん、息子を保育園につれて行く手に汗がじっとりにじんできた。午前8時半、気温はもう34度を超えていた。
「きょうも暑いから、おそとに行けないね」
息子もすっかり心得ている。6月下旬ごろまでは、梅雨の晴れ間をぬって、園庭で水鉄砲遊びに興じていたが、それも叶(かな)わない日が続く。暑さを肌で感じながら、目でも理解している。
「ぜったいおそとであそんじゃだめ」の日
「きょうも〝あか〟だとおもう」
〝あか〟とは、真っ赤な顔が汗をかくイラスト。保育園では外遊び禁止の日、子供でも分かるように、この絵を貼りだす。その顔の横にはひょろりとした「棒人間」。上に大きな×印が重なり、ひらがなで「ぜったいおそとであそんじゃだめ」。
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保育園の「外遊び禁止」表示をママが再現
保育園のイラストは、気温や湿度などから算出した暑さ指数(WBGT)に沿ったものだ。指数が31以上、参考気温35度以上で「危険」レベルの「赤」となる。熱中症になる危険性が極めて高いため、運動は中止し、涼しい室内で過ごさなくてはいけない。
昭和の頃、夏は外で日焼けするのが元気な子の証しだった。それが今や、度が過ぎて強い紫外線に令和の異常気象が追い打ちをかけ、外遊びは危険と隣り合わせに。なんともうらめしい。
昭和の子供は光化学スモッグで・・・
思えば、パパが子供の頃、昭和40年代にも運動場で遊ぶことが「中止」になったことがある。「赤」ではなく、小学校に黄色の旗が立てられていた。光化学スモッグ注意報である。
モータリゼーションの進展でまきちらされた自動車の排ガス、それに工場の煙。これらが含む窒素酸化物などが紫外線を浴び、光化学オキシダントという有害物質に変化した。当時は目や呼吸器をやられるため注意報が出ると、屋外活動の中止が呼びかけられた。
窒素酸化物などを除去する自動車触媒により排ガスはかなり浄化され、今では光化学スモッグを気にすることも減った。われわれは技術力で「黄色」を克服したわけだが、「赤」の壁は相当、険しそうだ。大げさではなく、息子世代は、亜熱帯の日本で暮らしていく心構えが必要なのかもしれない。
「プール遊び」が安全志向に
こんな日が続くと、週末に、公園で子供を遊ばせることもできなくなる。「このプール、おもしろいね。こんなに埋まっちゃった」
ある日、息子が満面の笑みではしゃいでいたのは、ショッピングモールに併設された室内型遊園施設の「ボールプール」。弾力のある青いボールが敷き詰められた〝海原〟に、子供たちが腰までつかり、思い思いに跳びはねていた。
溺れる心配も、流される心配もない。少しぐらい目を離しても迷子にならないだろう。これはこれで楽しそうだ。だが…と、昭和パパは複雑な心境だ。
息子は、春先から一生懸命、トイレトレーニングに励んできた。「おにいさんみたいに、保育園のプールで遊びたい」という一心からだ。おむつが取れると、家でも保育園でも、トイレのタイミングがつかめずに何度も失敗した。
ぬれたパンツは、そのまま洗濯機に入れられないから、パパとママがまず手洗い。最近はその回数が減っていくことに感動を覚えていた。
「もう、だいじょうぶだよね」
誇らしく仁王立ちして、好みのミニカーのパンツを自分ではく4歳の息子が、ひときわ「おにいさん」に見える。あとは8月下旬に解禁となる保育園のプールの日を待つばかり。〝あか〟の日にならないことを願う。
中本裕己
なかもと・ひろみ 昭和38年生まれ。前「夕刊フジ」編集長。現在も編集者として勤務。著書に『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました』。