甲子園100年 愛され続ける球場であれ(2024年8月5日『産経新聞』-「主張」)

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開場100年を迎えた甲子園球場。8月1日の阪神-巨人戦ではLED照明でお祝いムードを演出した(林俊志撮影)
 
 プロ野球阪神の本拠地で、高校野球の「聖地」でもある阪神甲子園球場が、開場から100年を迎えた。
手入れの行き届いた天然芝と黒土のグラウンドを舞台に、往年のスター選手が数々の名勝負を繰り広げ、ファンを魅了してきた。
 伝統を守り続けてきた先人に敬意を払い、これまでの100年、これからの100年に思いをはせる機会としたい。
球場は大正13(1924)年8月1日、「甲子園大運動場」として開場した。直後に、いまの全国高校野球選手権大会に当たる全国中等学校優勝野球の第10回大会が開かれ、翌年春からは選抜大会も行われている。
 昭和60年4月の対巨人戦で、阪神のバース、掛布雅之岡田彰布によるバックスクリーンへの3連続本塁打は、40年近くたったいまも語り草だ。その年、阪神が初の日本一に輝いたことと合わせて、プロ野球史を彩る名場面といっていい。
 本塁打性の打球を外野に押し戻す名物の「はま風」は、勝敗を左右する要素として、高校球児を一喜一憂させてもきた。
 青森・三沢の太田幸司、「KKコンビ」として活躍した大阪・PL学園の桑田真澄清原和博、「平成の怪物」と呼ばれた神奈川・横浜の松坂大輔ら、それぞれの年代に名選手、好勝負が思い出されるはずである。
 先の大戦では高校野球の開催が中止となり、内野席を覆った大屋根「大鉄傘」は、軍への金属供出のために解体された。戦後は米軍に接収され、高校野球が再開したのは昭和22年春の選抜大会からだ。平成7年1月の阪神大震災では、球場が地割れなどの被害を受けながらも同年春に選抜大会が行われ、復興へのメッセージを発信し続けた。100年の歩みは、数々の苦難を乗り越えた関係者の汗を抜きには語れない。
 高校野球はいま、岐路を迎えている。夏の暑さが厳しさを増す中、選手の健康と大会の存続をどう両立させるかは、大きな課題だ。7日開幕の夏の選手権では、試合の一部を朝夕の2部に分けて行う。7回制の導入に向けた議論も始まった。
 「聖地」としての伝統を守りつつ、野球以外の娯楽を提供するボールパークへの進化も必要だろう。次の100年も愛され続ける球場であるために、不断の改革を模索してほしい。