織田信長の後継者争いをめぐって起きた小牧・長久手の戦いの際に、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉が、弟の秀長に宛てた書状が東京大学史料編纂所の研究者による調査で確認されました。兄弟の関係性がうかがえる貴重な資料だとしています。
秀吉の書状では、信長の次男、信雄がおさめていた尾張の黒田や一宮を攻め火を放ったと書いていて、当時、近くにいなかった秀長に対し、秀吉は「きっと煙が見えただろう」と冗談を交えて、敵に与えた損害を伝えています。
また、秀長に対し、敵対する織田軍や徳川軍に備えて、港が近い伊勢の城に行き、水軍の手配をしっかり行うよう命じています。
村井准教授によりますと、秀吉から秀長に宛てた書状が見つかることは珍しく、「弟だからこそ、気を許して軽口をたたけるような関係であることがうかがえる。また、この戦いでの秀長の具体的な役割は、今まで知られていなかったが、秀吉が敵をけん制するために、弟を重要なポイントに派遣したことが分かった」などと分析しています。
博物館 今後一般公開も検討
書状が見つかった長野県須坂市の田中本家博物館は、江戸時代から豪商として栄えた田中家に伝わる美術品などを管理しています。
田中本家12代当主の田中宏和さんによりますと、今回の書状の存在は知っていたものの内容が分からず、専門家に調査を依頼したということです。
田中さんは「江戸時代に掛け軸にして取り引きされていたと思われるが、こうした貴重なものが残っていてよかったです」と話しています。