〈暗殺未遂後、トランプの勢いは完全ストップ?〉シミュレーション「ハリス対トランプ」2重、3重の「ガラスの天井」(2024年8月1日『Wedge(ウェッジ)』)

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(USA TODAY Network/アフロ)
 野党共和党は、トランプ暗殺未遂事件と共和党全国大会で勢いがついたが、ジョー・バイデン大統領が選挙戦からの撤退を表明し、カマラ・ハリス副大統領にバトンを譲ると、その勢いは完全に止まった。それが、2024年7月の米大統領選挙を語るすべてであった。
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 米ABCニュースと調査会社イプソスの共同世論調査(2024年7月26~27日実施)では、前回の調査(同月19~20日実施)と比べて、ドナルド・トランプ前大統領の好感度が、40%から4ポイント下がり36%に変わった。一方、ハリス副大統領の好感度は、35%から8ポイント上昇し、43%になった。
 今後、「ダブルヘイター(ジョー・バイデン大統領もトランプ前大統領も嫌い)」という言葉は消滅するかもしれない。
 そこで本稿では、まずハリス副大統領が11月5日の投開票日までの98日間に、どのような選挙戦略をとるのかについて考えてみる。次に、バラク・オバマ元大統領のハリス副大統領への影響力について説明する。さらに、ハリス氏の副大統領候補を紹介する。
2重、3重の「ガラスの天井」
 ハリス副大統領は、歌手のビヨンセから彼女の楽曲「フリーダム(自由)」の使用許可の提供を受けると、早速、それをキャンペーンソングにして、1本目の選挙広告を打った。その広告には、ハリス陣営の選挙戦略がはっきり見える。
 広告のナレーターはハリス副大統領自らが務め、冒頭、「どのような国に住みたいですか」と有権者に問いかける。「混乱、恐怖、憎悪の国ですか」と再度問いかけると、画面にトランプ前大統領と共和党のJ.D.バンス副大統領候補の顔が現れる。
 その問いに対して、ハリス副大統領は自らの声で、「われわれは異なった選択をした。自由を選んだのだ」と強調する。自由―ハリス氏は、「銃の暴力からの自由」や「人工妊娠中絶を選ぶか否かの選択の自由」を畳み掛けた。
 自由は、米国民の文化的価値観、即ち特定の文化の中で最も重視ないし優先順位の高い価値観である。ハリス副大統領は、トランプ-バンス陣営がその自由を国民から奪うと有権者の目に、耳に訴えかける。
 加えて、ハリス氏は「自由で思いやりがある法の支配の国」と、トランプ前大統領の「混乱と恐怖と憎悪の国」との対比を明確にして、前者を米国の「未来」、後者をトランプ政権時代の「過去」と位置づける。もちろん、「未来」はハリス副大統領によって導かれる。
 注目すべきは、非白人女性のハリス副大統領が、有権者に対する選択肢を自分と白人男性のトランプ前大統領ではなく、「自由」と「自由の抑圧」に置き換えている点だ。その背景には、「白人男性対非白人女性」の対立構図は、ハリス氏に不利になるという理由が存在する。
 2016年米大統領選挙で民主党大統領候補であった白人女性のヒラリー・クリントン国務長官は、「ガラスの天井」を破ることができなかったと、クリントン氏自身が述べている。ハリス副大統領は、「黒人であり」、「南アジア人の母親を持つ」「女性」で、その頭上には2重、3重もの「ガラスの天井」がある。
 おそらく、白人有権者の中には、人種とジェンダーの選択になると心理的にブレーキがかかる者もいる。従って、ハリス副大統領は、人種とジェンダーの束縛からの開放の意味の「自由」を含めて、「自由」と「自由の抑圧」という対立構図を描いた。
 ハリス陣営は、ハリス副大統領を「自由の擁護者」、トランプ前大統領を「自由の抑圧者」というものとして、有権者の意識に浸透させようとしている。
ハリスの「フリーダム効果」
 バイデン大統領が選挙戦からの撤退表明を自身のX(旧ツイッター)で表明してから1週間が経過したが、ハリス副大統領の「フリーダム効果」が徐々に出始めている。
 トランプ前大統領は7月28日(日本時間)、中西部ミネソタ州で集会を開き、いつものように演説の最後に「米国を再び偉大にする(Make America Great Again)」と主張して集会を終えたのだが、異なった点が1点あった。ここに筆者は注目した。このセリフの前に「米国を再び自由にする(Make America Free Again)」とアピールしたのだ。
 なぜトランプ前大統領は「自由」を出したのか。その狙いは一体何か。
 一言で言えば、トランプ前大統領が、ハリス副大統領の「フリーダム効果」をかなり警戒している証拠だ。今後、ハリス副大統領が「フリーダム」のメッセージを核にして、選挙戦を戦うことは明らかだ。そこで、自分も「フリーダム」という言葉を使用して、その効果を相殺しようという狙いがある。
 このトランプ前大統領の相殺戦略については、過去に何回か述べてきたが、これはトランプ氏のダメージを回避する常套手段である。裏返せば、トランプ氏にとってダメージになっているのである。
「重罪犯」「詐欺師」「性的暴行者」の3点セット
 ハリス副大統領は、トランプ前大統領を「自由の抑圧者」のイメージの植え付けをやりたいのだが、それよりもすでに暴かれた事実に基づいた攻撃がある。
 トランプ前大統領は、ニューヨーク地裁における元不倫相手への口止め料を巡る裁判で、12人の陪審員が全員34の罪に有罪の評決を下すことによって、「既決重罪犯(convicted felon)」になった。
 バイデン大統領が7月21日(現地時間)、選挙戦からの撤退を自身のXで発表すると、翌22日民主党のベテラン下院議員のジェリー・コノリー氏(南部バージニア州)は、支持者にメールを送り、ハリス副大統領の下で同党がまとまることが重要であると強調し、ハリス氏支持を逸早く表明した。さらに、コノリー議員は、同じメールでハリス氏とトランプ氏が対戦すれば、「検事対重罪犯」のコントラストが鮮明になると指摘した。
 元検事のハリス副大統領は、トランプ前大統領の重罪犯のみならず、トランプ大学におけるオンライン講座の授業料詐欺や、元女性作家に対する性的暴行で賠償金を命ぜられた件など、過去の事件を掘り起こして追及していく構えだ。
 つまり、ハリス副大統領は残り98日間の選挙戦で、トランプ前大統領を「重罪犯」「詐欺師」および「性的暴行者」として描く戦略に出る。
 このハリス副大統領の選挙戦略に関して、トランプ支持者は憤慨し、結束を固めるかもしれないが、この戦略は民主党支持者や民主党寄りの無党派層および鍵を握る郊外に住む女性に、バイデン大統領が与えることができなかった留飲を下げる効果がある。
 さらに、トランプ前大統領を「重罪犯」「詐欺師」および「性的暴行者」に描くことに成功すれば、今回の共和党全国大会に参加しなかったマイク・ペンス前副大統領、ジョージ・W・ブッシュ元大統領、ディック・チェイニー元副大統領並びに2012年米大統領選挙における共和党大統領候補であったミット・ロムニー上院議員(西部ユタ州)等、共和党穏健派の票を得られるかもしれない。
DEI候補
 これに対して、トランプ前大統領とMAGA共和党はどのように対抗していくのだろうか。
 米有力紙ワシントン・ポストによれば、議会共和党下院に向けて、これまでハリス副大統領を批判する際に用いた「DEI候補」を使用しないように党幹部から指示が出たという。議会共和党は、これまで黒人女性のハリス副大統領は、自分の実力ではなく、DEI政策のお陰で選ばれた候補と難癖を付けてきた。「D」は多様性(diversity)、「E」は平(equality)、「I」は包摂(inclusion)を指す。共和党幹部は、この用語とハリス副大統領への「言いがかり」が共和党への批判となって返ってくることを恐れたのである。
 しかし、共和党がハリス副大統領の人種やジェンダーへの攻撃を控えても、トランプ前大統領は支持基盤を構成する白人至上主義者や白人労働者の結束を高めるために、人種およびジェンダーを利用するかもしれない。
 トランプ氏の伴走者であるJ.D.バンス副大統領候補は、2021年に米FOXニュースとのインタビューの中で、「子供のいない猫好きの女性たち」と発言したことに関して、目下、集中砲火を受けている。
 米ABCニュースと調査会社イプソスの共同世論調査(2024年7月26~27日実施)によれば、バンス氏の好感度は、「好感が持てる」が24%、「好感が持てない」が39%で、「非好感度」が15ポイントも上回った。前回の調査(同月19~20日)と比較すると、「好感が持てない」が8ポイント上昇した。
 しかも、バンス副大統領候補に対して「意見がない」と「分からない」の合計は、36%であった。この数字は取りも直さず、彼の知名度の低さを示している。
オバマの影響力
 民主党大統領候補指名をほぼ確実にしているハリス氏の副大統領候補は、一体誰になるのだろうか。米ABCニュースによれば、ハリス氏は民主党副大統領候補を8月7日までに決め、その後、副大統領候補と一緒に激戦州を訪問するという。
 民主党大統領候補をリサーチし、ハリス副大統領に報告するチームのヘッドは、オバマ政権時代に司法長官を務めたエリック・ホルダー氏である。
 ボルダー氏のチームは、対象となるハリス氏の複数の副大統領候補に対して、審査書類(vetting paperwork)を提出させ、彼ないし彼女のバックグラウンドを調査する。バックグラウンドには、借金、異性問題、家庭内暴力や過去の発言などが含まれている。
 米紙ワシントン・ポスト(7月22日 電子版)やボストン・グローブ(同月23日 電子版)は、2008年米大統領選挙でオバマ選対の本部長を務めたデイビッド・プラウフ氏が、ハリス選対に加わる公算があると報じた。仮にそうであるならば、ホルダー氏とプラウフ氏はコンタクトをとり合い、意見交換をして連携しているとみてよい。
 何より、ハリス副大統領自身がバラク・オバマ元大統領の熱烈なファンであることも特記しておこう。ハリス氏は、2008年米大統領選挙において、オバマ元大統領が07年2月10日に中西部イリノイ州スプリングフィールドで出馬宣言を行った際、演説の会場に出向いている。
 また、ハリス氏は同大統領選挙において、オバマ支持を表明し、中西部アイオワ州民主党党員集会において、オバマ氏の勝利を祝う姿が映されている。
 2020年の民主党全国大会で、ハリス氏の副大統領受諾演説の前に、彼女を紹介したのもオバマ元大統領であった。そして、今回、バイデン大統領に、トランプ前大統領に勝利する道は狭まっており、現実を直視するように促したのも、オバマ元大統領であった。
 仮にハリス副大統領が第47代大統領に就任した場合、オバマ元大統領の影響力は強くなるだろう。
 以上は、ハリス副大統領に対するオバマ元大統領の影響力であるが、オバマ氏は黒人やヒスパニック系に対して、現在も変わらず高い人気を得ており、彼らの投票行動を左右する影響力もある。
「ダブル検事」は実現するのか?
 米NBCニュースは、ハリス氏の副大統領候補が2名に絞られたと報じた(日本時間7月30日)。ジョシュ・シャピロ知事(51歳 東部ペンシルべニア州)とマーク・ケリー上院議員(60歳 西部アリゾナ州)である。ハリス副大統領が非白人女性なので、バランスをとるために彼女の副大統領候補は白人男性が有力である。
 そして、いずれも今回の激戦州において選挙を勝ち抜いた。つまり、一定の票を持っているのである。
 2人の候補には、以下のメリットが存在する。まず、シャピロ氏が知事を務めるペンシルベニア州(選挙人19 以下同様)は、激戦7州の中で最重点州であり、ハリス副大統領が絶対に落とせない州である。このことは、バイデン大統領にとっても同様であったが、ペンシルベニア州スクラントン出身のバイデン氏の場合は、地元という強みがあった。
 今回、ハリス副大統領には、トランプ前大統領の岩盤支持層は別として、票を取り戻さなければならない対象の有権者がいる。その一部は、イスラエル-ガザ戦争におけるバイデン大統領のイスラエル偏向に対する不満や怒りで離れていった若者やアラブ系である。
 この戦争において、パレスチナ人の死者数が急増したころ、ハリス副大統領は、ホワイトハウスの会議においてバイデン大統領があまりにもイスラエル寄りなので、困惑したと報じられた。現在では、元検事であり人権重視のハリス氏は、バイデン大統領よりもガザの人々に対して同情的であると一般的に理解されている。その点では、離反した若者やアラブ系の人々を民主党側に引き戻す可能性がある。
 一方、シャピロ知事はユダヤ系であるので、ハリス副大統領がパレスチナ寄りの発言をしても、ユダヤ系の票を失わないだろう。ちなみに、ハリス副大統領の夫でセカンド・ジェントルマンのダグラス・エムホフ氏もユダヤ系である。
 さらに、トランプ前大統領がハリス副大統領に「極左」というレッテルを貼っているので、中道のシャピロ知事はそのイメージを弱める。
 海軍出身で元宇宙飛行士でもあるケリー上院議員を副大統領候補に選べば、西部アリゾナ州(11)とネバダ州(6)での勝利が期待できるかもしれない。ケリー氏の妻ガブリエル・ギフォーズ元下院議員は、2011年アリゾナ州ツーソンで至近距離から頭部を銃撃されたが、一命を取り留めた。ハリス副大統領は、ケリー氏と組めば、「銃の暴力からの自由」を前面に訴えることができる。
 2人の他にロイ・クーパー知事(67歳 南部ノースカロライナ州)の名前が挙がっていたが、彼は自身のXで、ハリス氏の副大統領候補にならないと投稿した。
 クーパー知事が民主党副大統領候補に指名された場合、ノースカロライナの州法により、副知事のマーク・ロビンソン氏が知事になる。ロビンソン氏は共和党であり、ノースカロライナ州におけるハリス副大統領の勝利を阻止する選挙運動に出る可能性が高い。この点について、ホルダー氏のチーム内で議論になったのだろう。また、クーパー知事はシャピロ知事とケリー上院議員と比べて知名度が低い。
 ところで、シャピロ知事はハリス副大統領と同様、元検事である。シャピロ氏が、ハリス氏の副大統領候補になれば、「ダブル検事」でトランプ前大統領の重罪や過去の詐欺および、性的暴行事件を厳しく追及することになるだろう。
時が求める大統領候補
 2020年米大統領選挙はコロナ禍で行われ、新型コロナウイルスに感染し、米国では多くの犠牲者が出た。1972年12月にクリスマスプレゼントを購入するためにショッピングに行った妻と娘を交通事故で亡くし、2015年5月にはイラクに従軍した後、脳腫瘍を患った長男を亡くしたバイデン候補(当時)は、コロナの犠牲となった家族や友人などに感情移入をし、寄り添うことができる大統領候補であった。選挙キャンペーンでも小規模な集会を行い、参加者の人数を制限するなど、国民の健康と幸せに配慮を示した。
 彼は、正に時が求めた大統領候補であったのだ。
 バイデン大統領が選挙戦から撤退し、元検事のハリス副大統領が、重罪犯のトランプ前大統領と対戦する可能性が高まった。ハリス氏は人権派であって、戦争の惨禍に打ちのめされる人々の側に立っている。そして、「ダブルヘイター」の一因であった高齢ではない。性格においても、その明るさが若者に受けている。
 ハリス氏も、時が求める大統領候補と言える。