週のはじめに考える トランプ氏という「試練」(2024年7月28日『東京新聞』-「社説」)

 トランプ氏は今、米国の大統領がトランプ氏ではないことに感謝すべきでしょう。なぜって、もし大統領がトランプ氏だったら、その政敵であるトランプ氏は、とうに投獄されているかもしれないから。無論、あり得ない仮定の話ですが、この人の独裁者へのあこがれが相当強いのは確かです。
◆「独裁者」に強いあこがれ
 現に、中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領ハンガリーのオルバン首相ら、名うての独裁者・独裁的指導者を称賛するトランプ氏の発言は、しばしば米メディアで伝えられています。自身、不気味にも、次に大統領になったら「初日だけ独裁者になる」旨の発言もしています。
 元側近が警告しているのも、その「独裁者志向」。少し前の米CNNの報道によると、大統領首席補佐官を務めたケリー氏は「(トランプ氏は)米軍を自分の好きに動かすといった、独裁者式の権限が大統領にはないことにショックを受けていた」と話し、安全保障担当の大統領補佐官だったボルトン氏は、「自分の好きに人を投獄できる」ような指導者が「彼の好み」だと語っています。
 冒頭の仮定の話に戻れば、たとえ独裁者の大統領でも、さすがに何の理由もなく政敵を投獄するのはリスクが大きい。でも、トランプ氏は既にいくつもの罪で起訴されており、口実にできる行状なら事欠きません。やはり、もし大統領が独裁者トランプ氏で、次の選挙で自分を追い落とそうとしている政敵がトランプ氏だったとしたら、大統領のトランプ氏は迷わず政敵のトランプ氏を刑務所送りにするのではないでしょうか。
 無論、現実には、いくらトランプ氏が独裁者になりたくても、米国の強固な民主主義規範がそれを許すはずがないと、多くの人は考えるでしょう。必ず、司法システムをはじめとするガードレールが機能する、と。でも、そうとも言い切れないところがあります。
 その司法システムの頂点、米連邦最高裁が少し前に示した判断は驚きでした。あの連邦議会襲撃事件を誘発したとして起訴されたトランプ氏に対し、大統領在任中の公務に関して刑事責任の「免責」特権が適用されるとして、適用範囲を審理するよう下級審に差し戻したのです。バイデン大統領の発言に、ことの重大さがうかがわれます。「大統領ができることに事実上制限がないことを意味し、危険な前例だ」
 高裁は免責を認めませんでしたが、最高裁は、トランプ氏が任命した判事も含め9人中6人が保守派。ガードレールは、もはや、彼の「あこがれ」の実現を阻めるほど頑丈でない恐れがあります。
◆放置した「格差」「不公平」
 それにしても、この1カ月は、今年11月の大統領選を大きく左右するような出来事の連続でした。
 (1)バイデン大統領がテレビ討論で心許(こころもと)ない応答を重ね、高齢への不安が一気に膨らむ(6月27日)(2)「トランプ氏の勝利」といえる前述の最高裁判断(7月1日)(3)バイデン氏が演説や記者会見で、「ハリス副大統領」を「トランプ副大統領」、ウクライナの「ゼレンスキー大統領」を「プーチン大統領」と言い間違える(11日)(4)トランプ氏を狙った暗殺未遂事件が発生(13日)(5)事件で求心力を高めたトランプ氏が共和党候補指名を受諾(18日)…。
 この、微妙に揺れていた天秤(てんびん)が一気にトランプ氏側に傾くような展開に、何となく、思い浮かんだ言葉は「試練」でした。
 そもそも、民主主義世界の中心たる国で、「法の支配」や人権や報道の自由といった民主主義の価値観を軽視する人物がリーダーの座を勝ち得た時、なぜこんなことが起きたのかと、民主主義を信奉する世界、即(すなわ)ち「非トランプ」の側は厳しく自問したはずです。
 なのに、再選を阻んだ後もチャンスを生かさず自己改革できなかった。相も変わらず、市場(マーケット)の論理に服従して富の偏在を放置、分配をおろそかにして格差を広がるがままにした。要はトランプ氏の支持者を心変わりさせるような変革を社会にもたらせなかった。だから今、再び、独裁者志向の人物が大統領の座に迫っているのです。この状況をつくり出した責任は「非トランプ」側にあります。
◆民主主義の命運握る「改革」
 ご案内のように、その後、バイデン氏は大統領レースから撤退、ハリス副大統領が民主党候補としてトランプ氏と相まみえます。支持率を見ると、ハリス氏勝利の目も出てきた感じがします。でも、仮にそうなっても、もし「非トランプ」の側が今後も自己改革できないなら、第2、第3の「トランプ」が現れてくるだけ。そして、その時には、民主主義が決定的衰微へと追い込まれるでしょう。