「ひどくて凄い。こんな怖い小説があるか」人気ミステリ作家が大熱論。必読の清張短編ベスト10(2024年7月26日『文春オンライン』)

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『点と線』や『ゼロの焦点』『砂の器』といった長編推理小説によって国民的作家の地位を築いた松本清張は、もちろん短編も名作の宝庫。数百作に及ぶ清張短編の中からミステリ界の旗手二人が各々のベストを厳選、その魅力について縦横無尽に語り合った。
 
北村 今回は私と有栖川さんが持ち寄った、それぞれのベスト5を中心に、非常に豊かな宝の森、松本清張の短編について語り合いたいと思います。清張先生の短編は質量共にさすがで、アンソロジーも多数編まれています。それらの収録回数ベスト3の作品では、すでに語り尽くされている「張込み」と「顔」が同率トップという結果になりました。
有栖川 両方とも、「或る『小倉日記』伝」などで歴史小説的な作風を見せていた松本清張が、推理作家としての存在感を示し始めた初期の作品ですね。
北村 多彩な清張短編だからこそ、何を選ぶかに編者の個性が出ますね。佐野洋五木寛之選のアンソロジー(『短編で読む推理傑作選50』)には「共犯者」が採られている。これは佐野先生のセレクト。「共犯者」が一押しの清張短編だったそうです。なるほど、最後のオチのつけ方などいかにも佐野洋好みで納得いきます。さて、お互いが選んだベスト短編の話に移りましょうか。
有栖川 従来のアンソロジーに紹介されているかなどは気にせず虚心に好きなものを選びました。
「理外の理」1972年(北村薫・選)
北村 日常を超越した世界を創作した点で、非常にお見事。ミステリーには“見立て殺人”という趣向があって『僧正殺人事件』(ヴァン・ダイン)や『悪魔の手毬唄』(横溝正史)などが有名ですね。童謡とか伝承を殺人という残酷なものと結び付けて不思議な味わいを出す。それを清張先生がやるとこうなる。
有栖川 まさに変格探偵小説ですね。江戸時代の巷説が絡むせいもあって、戦前の怪しい話を読むような雰囲気なのに、雑誌リニューアルで古い作家が切られる、といった七〇年代の“現代の風潮”が描かれているのも面白かった。
北村 背景や人物像の方は、非常にリアルですよね。「そういえば最近、『オール讀物』から電話もメールも来ないな」みたいな(笑)。巷説の舞台は喰違御門で、まさにこの対談をやっている紀尾井町の辺りです。具体的地名を通して江戸の巷説と現代の殺人事件が地続きになる。下手な人が書いたら単なるお笑いになるところを、ひたひたと怖さが迫る。妻に逃げられ仕事も無い小男の老境を淡々と綴った後に、奇怪な死に方をぽんと持ってくるから怖い。円熟の域に達した短編だと思います。
佐渡流人行」1957年(有栖川有栖・選)
有栖川 清張さんは歴史・時代物も面白いですよね。骨太で迫力があって。推理作家としてより歴史作家・松本清張のほうが好きな読者もいらっしゃるでしょう。「佐渡流人行」はその両者が合体して、極みに達したような作品です。
北村 『無宿人別帳』なんかも粒揃いの時代短編集ですね。
有栖川 私、この短編の最後の一行が死ぬほど好きなんです。妻も不貞相手も昏い穴に落ちて死に、呆然と泣く主人公の後に、
――月光は、いつのまにか、この廃坑の入口まで歩いてきているのだった。
 清張作品で一番好きなエンディング。呆然としている間の時間経過を月光が“歩く”という言葉を効かせて表現する。小説ってこんな風に文章で魅了してくれるんだ、と、この一文を賞賛したいがために選んだとも言えます。取材に基づく佐渡の描写や、鉱山で水替え作業に従事させられた流人の過酷さとか、作品そのものがすごく高水準なのはもちろんですが。
北村 時代小説にも大変な業績を残しているので、本来はもっと紙幅を割きたいところですが、「最後の一行」ときたら私も「月」の話に進むしかないですね。
「月」1967年(北村薫・選)
北村 長年地道な学問を続けてきた伊豆という学者が、かつての教え子・綾子の家に疎開している。戦争が終わり、彼の研究がようやく日の目を見るかもしれない。若い編集者が訪ねてくる。そして最後の一文、
――月の晩、伊豆は便所の窓の桟に綾子の腰紐をかけ、中腰で縊れた。
有栖川 ひどくて凄い。こんな怖い小説があるか、という。どんでん返しとかではなく吃驚しました。
北村 「便所の窓の桟に」とわざわざ書く切れ味、非情さ。これで題が「月」というのがまた凄い。
有栖川 思いを寄せる女性が書く“月”の字が傾いていたり、悲しい末路を迎えるだろう不吉さが全編に漂っていて、それでもどうにかこのまま終わるかと安心したところに最後の一文。こんなショックの与え方があるんですね。
北村 最初に題があったのか、書き進めて最後に付けたのか……。出来上がってみれば題も結びもこれしかないという唯一の形になっているのは、天性の小説家のなせる技でしょう。
有栖川 漢字一文字タイトルって清張作品にはいくつもありますよね。「雨」「影」「紐」とか。いつか「月」で行こう、とは狙っていたのかもしれませんね。
北村 “人間が書けている”というのは嫌な言葉ですけど、主人公の心理がまことに切れ味鋭く迫ってくる。最後の容赦なさも含め、一読忘れ難い名品です。
「白い闇」1957年(有栖川有栖・選)
有栖川 人間観察や心理を抉る文章もさりながら、本作一番の魅力は推理小説としての洗練。興味を引く発端、旅につれ浮かび上がる事実、意外な結末。当時の推理小説のひとつの完成形です。
北村 水もたまらぬ切れ味の、ミステリーのお手本のような短編。
有栖川 当時の清張さんは専業作家になりたて。九州で不本意な仕事もしつつ小説を書いて東京に出て、依頼が増えて新聞社を辞めて……からの十和田湖取材旅行ですよ。どれだけ楽しかったことか。自分があるべき場所に立てた歓び、清々しさが作品に横溢しています。瑞々しくもある。
北村 北海道へ行くと告げて失踪する夫。霧に包まれた十和田湖でのクライマックス。取材で得たものを余すところなく入れ込んで、その舞台に登場人物たちが見事にはまって動いている。
有栖川 どんな作家も、アイデアがするする浮かんで楽しく書ける時期って実は僅かですよ。「白い闇」はそんな、作家にとっての短くも幸せな時期に書かれた気配を感じて好きなんです。
北村 清張先生も後年は、多少急いで書かれたかなという作品があったり、この一か所だけ手を入れたら傑作なのにと思うものもあるんですが、これは本当に文句のつけようがないですね。
「詩と電話」1956年(北村薫・選)
北村 いかがです、この短編はノーマークだったんじゃないですか。全集にも入っておらず、なかなか読むことのできなかった作品です。新聞社とか、同人誌とか、松本清張らしい日常的な要素がありながら、不可思議感を生み出すのがとてもうまい。
有栖川 どうしてあの男は誰よりも早く特ダネを手に入れられるのだろう、という謎が面白いですね。ある記者が警察より早く現場に着くことまでやってのけてしまうのは不可解でした。
北村 いかにも作り話的ではあるんだけど、そこが非常に面白い。そして、詩を愛する女性が登場します。われわれのようなガリ版世代にとって、活字には、現代の人が想像もつかないような魅力がありますよね。
有栖川 私もガリ版世代の末尾にいたので、自分の書いたものが活字になるのは特別なことだという感覚はわかります。彼女からしたら自分の詩が小冊子とはいえ、本になるのですから。
北村 結果的に男たちに利用されてしまったわけだけど、活字の小冊子は手元にずっと残る。それを見ることで満たされるのではないかと考えると、そんなに後味は悪くない。
有栖川 今回、初めて知った作品だったのですが、北村さんがあげてくださったおかげで、いかにも清張らしい短編を新作という格好で読むことができました。
「装飾評伝」1958年(有栖川有栖・選)
有栖川 北村さんが学者もの(「月」「断碑」)を選ばれたので、芸術家ものも入れたいなと思って選びました。「装飾評伝」は架空の画家の評伝を中心に置き、そこから次第に画家と評伝作者の間にある秘密が見えてくる。ぱっと謎を解くというより、こつこつ調べて真相に迫る、清張ミステリーらしさが凝縮されています。
北村 評伝的系譜の傑作も清張作品には多いですね。
有栖川 この架空評伝が何ともまことしやかな噓のつき方なんです。名和薛治という画家が実在したと勘違いする読者がいるのもむべなるかな。推理小説のにおいが濃厚、かつ芸術に対する関心もよく表れている。ひいては「隠されたものを見たい」という古代史や考古学に対する清張さんのアプローチの姿勢に通じるところもあり、作家性が見えるような気がします。
「断碑」1954年(北村薫・選)
北村 評伝的系譜に連なる学者ものの名品です。清張先生の中に根強くある、世にときめくものに対する憎悪、屈折、不快感が見事に小説に昇華されている。報われぬ天才を描く作品群の代表格と言えるでしょう。
有栖川 ひとりの考古学者の姿を通して「なぜ自分はあるべき場所に行けないのか」という苦悩や焦燥を、読んでいてつらくなるほど切実に書きますよね。「白い闇」以前の時期の作者自身の記憶が強く残っているからだと思うんです。大流行作家・松本清張となってもなお、不遇の頃の渇望を抱えている。一連の“報われぬ天才”ものにはそんな凄みを感じます。
北村 あたかも事実の羅列のごとくリアルに書いていきながら、傲慢無礼な主人公がある瞬間にスーッと流す涙も描いてみせる。評伝から小説的な貌(かお)がぱっとのぞくところが印象に残ります。
「田舎医師」1961年(有栖川有栖・選)
北村 意外な一作を選ばれましたね。
有栖川 世間的に特別評価が高いわけでなく、北村さんから見ても地味な作品かとは思いますが、傑作ですよ。
北村 これまた清張作品のひとつの系譜といえる“ルーツ探し”ですね。
有栖川 清張先生は、お父さんが育った中国地方の山や島根と広島の県境あたりを、自分のルーツとして度々訪ねて小説に描いています。中でも「田舎医師」で一番感心するのは、これ、めちゃくちゃ本格ミステリーなんですよ!
北村 確かに仕掛けはあるけど……。
有栖川 間違いなく傑作です。父親の故郷に行ってみたら、この辺りでは医者がいまだに馬で往診するという。驚きはするでしょうけど、そんなの普通はエッセイ一本書いたら終わりじゃないですか。しかし松本清張推理小説を作るんですよ。雪上の人や馬の足跡を巡る推論は実に論理的だし、村の人間関係と往診の順番にはチェスタトン風味もある。後半は伏線回収の嵐。もっと読まれるべき作品として、強く推します。
「上申書」1959年(北村薫・選)
北村 これは私自身がまだ初心な学生時代に読んで、官憲の取調べの恐怖が惻々と迫り、心に食い入っている短編です。
有栖川 恐怖一色でしたか?
北村 戦時中に妻殺しの疑いをかけられた男の聴取書が並ぶ形式ですが、取調べを重ねるごとに証言が二転三転する。権力に強制されて“真相”がコロコロ変わる様がとにかく恐ろしい。ここから『日本の黒い霧』の帝銀事件松川事件につながっていくわけですが。
有栖川 権力が誤った時の恐ろしさについてはまったく同感です。ただ、私は恐怖と同時に引き攣った笑いも誘われて、例えばジョージ・オーウェルの『1984』のようなディストピア社会のブラックユーモアを感じたんです。もちろん清張先生には笑わせる意図はないのでしょうが、十数回分も調書を並べて執拗に事件をひっくり返すのを読んでいると「いくらなんでも、ここまで態度が変わるかいな」とアイロニーを感じてしまう。
北村 私なんか、締め上げられたら一発で転んじゃいますけどね(笑)。初読の恐怖は何十年経っても色褪せません。
天城越え」1959年(有栖川有栖・選)
北村 五〇年代末の清張先生がいかに充実していたかが分かりますね。
有栖川 映画も評判になりましたし、ファンの多い短編かと思います。特筆すべきは二点で、まずこれは“アンチ『伊豆の踊子』”小説である。『踊子』とは反対のコースで天城越えをしようとした少年が恐ろしい運命と遭遇する物語。なんとも巧みな反転で、暗い、黒光りする小説になっています。
北村 現代の読者は『伊豆の踊子』になじみが薄くなっているのが、残念ですね。「天城越え」発表当時は子どもでも知っていましたから。やはりここは『踊子』を知った上で読んでほしい。
有栖川 そしてもう一点、本格ミステリーとしては、犯人が分かった時に「あ、これ『●●●●』じゃないか」とアメリカの某古典本格が思い浮かぶ興奮。
北村 『●●●●』はもちろん、子どもの頃からモーリス・ルブラン『女王の首飾り』を愛読する有栖川さんが、この一作を選んだことに意味がありますね。
有栖川 印刷所経営者である主人公の少年時代の天城越えの回想がまずあり、次いで彼の元に持ち込まれた昔の捜査資料で三十数年前の殺人事件が綴られる。そして主人公を訪ねてきた老刑事との対話で終わる。いわば「私が犯人」という語り落としをしている小説なんですが、これ以上に自然な、語り落としによる記述者=犯人の作例ってないんじゃないかと思います。誰かに向けた告白でも手記でもないのに、少年時代のほんの短い時間に起きた出来事を主人公が一生引きずっているのが伝わってくる。読者を驚かせるとか、意外な犯人とかとは違う次元で推理小説が出来上がっています。
唯一無二の宝の森“清張短編”
北村 駆け足ながら互いの傑作選五作を語り終えましたけれど、単純に好きというだけで選ぶならば枚挙にいとまがない。「二冊の同じ本」なんて大好きな一編ですが、どうにも納得できないところがあるから今回は選ばなかった。アンソロジー収録回数ベスト3の作品はもちろん、「遭難」「紙の牙」「二階」なんかもいいですねぇ……。
有栖川 少し違う系統では、古代史が関連すると清張さんは夢が膨らむところがあるみたいで、普段と一味違った顔を見せてくれるんです。「東経139度線」と卑弥呼とか「巨人の磯」と巨人伝説とか、翔んだ発想の作品群も私は好きです。多少無理筋と感じたとしても、何やらすごく面白い話を読んだ、という感覚が強烈なんですよね。
北村 二〇二二年に中央公論新社から『任務』という松本清張未収録短編集が刊行されました。収録作のうち「電筆」は私と宮部みゆきさんで編んだ『とっておき名短篇』(ちくま文庫)に入れた作品ですが、『任務』の解説ではそのことに触れられていて嬉しかったですね。それにしてもこれまで何百と読んできたのにまだ未収録短編があるとは、果てしない、豊かな森だと改めて思います。
有栖川 全集に入っていないものもありますしね。今回のベストには挙げませんでしたが、連作短編集まで考えたら、『絢爛たる流離』も外せません。人の手から手へと渡っていくダイヤモンドを主人公にして時代背景と共に様々な事件を描く。朝鮮での兵役体験が活かされた作品も入っています。画期的とまでは言わずとも凝ったアイデアだし、技巧的にも高水準で、結構無茶なトリックも出てくる、見逃せない一冊です。所収の「雨の二階」では、大真面目に奇妙なトリックを使っています。読者がどういう顔をしていいか分からなくなるようなトリックだけど、そこが良い。
北村 ミステリーとして括ると、はみ出す部分がある。やはり“清張短編”としか呼びようがない特異な作品群なんです。巷説や古代史の博識に加えて、普通の人なら見逃してしまうような日常の中の要素を様々にストックしておいて、余人には不可能な結び付け方で小説を作ってしまう。そういう不思議な大作家の魅力が多様に花開いたのが、清張短編の世界であろうと思います。
有栖川 有栖,北村 薫/文春文庫