代表ユニホームを着用し、ポーズを決める橋本大輝(手前左)と宮田笙子(同右)=6月11日
パリ五輪代表となり、笑顔でスタンドに手を振る宮田笙子=5月18日
6月末から7月にかけて、都内某所でのプライベートの場での喫煙行為が1度、また同時期にナショナルトレーニングセンターの選手宿舎内で飲酒行為があった。西村専務理事は18日に宮田から聞き取りを行ったといい、「数々のプレッシャーなどもありながら、そういう行為をしてしまった」と本人が話していたと説明した。
順大の原田睦巳監督は「このような事態になりまして、所属の監督として大変申し訳なく思っています」と謝罪。「本当に彼女はオリンピック代表になるということを小さな頃から夢みて、夢舞台がこのような自体でついえてしまった事が大変残念な思いがありますし、本人も自分の軽率な行動を深く反省していると思います」とした。
さらに「一方で東京オリンピックが終わってから日本代表選手が一新されて、日本を引っ張らないといけないという思いを持ちながら日々努力し、プレッシャーと日々戦いながら大変苦しい思いを間近に見ていたのも事実でございます。私が見ている範囲で彼女は真摯(しんし)に取り組んでいた。このような規範に触れるような行動は決して想定できなかった」と話した。最後には、涙を浮かべて「何の申し開きでもございませんが、ものすごいプレッシャーと結果を残さなければいけないと胸に抱えながら日々を過ごしていたことはぜひご理解いただければ幸いです」と締めくくった。
19歳にしてエース。その両肩にはかなりの重圧がかかっていた。2021年東京五輪を境に、日本をけん引してきた村上茉愛さんらが引退。22年にNHK杯を初優勝して世界選手権に初出場。種目別平均台で銅メダルを獲得して活躍し、いきなり世代交代の中心メンバーとして重圧を背負った。
世界選手権切符がかかっていた23年4月の全日本個人総合選手権では2位。同年2月に右かかとの疲労骨折が発覚して「このまま続けたら体操ができなくなる」と告げられていたこともあり、同大会の決勝後には、涙ながらに日本エースとしての重圧と苦悩を明かしていた。
「(全日本個人総合選手権で予選)6番の時は世界選手権の代表のこともあってすごいプレッシャーがかかっていた。自分の気持ちもですけど、周りの人から言われる言葉がプレッシャーになったりもしてた」と涙を浮かべて告白。「多くの人から『代表に絶対入らないといけない』と言葉があった。自分でも分かっているけど、練習の過程を考えるとそこがプレッシャーになっている部分があった。そこがつらいなと思う部分でした」と、時折声を詰まらせて振り返っていた。
ここ数年女子ではトップ選手にけがが相次いだ影響もあり、22年、23年の世界選手権と今年のパリ五輪に、3年連続で代表入りした選手は宮田しかいない。パリ五輪代表は全員初の五輪。宮田は19歳にして最上級生でもあり、主将の役目を担っていた。「エース兼キャプテンとして重大な責任がある。明るく日本を引っ張っていけたら」と殊勝に話していたが、見えない重圧に追い詰められていたのかもしれない。