<この道しか知らざる妻の盆の路>能村登四郎(のむらとしろう…(2024年7月14日『東京新聞』-「筆洗」)

 <この道しか知らざる妻の盆の路>能村登四郎(のむらとしろう)。お盆の時期に亡くなった妻が家に帰ってくる。通ってくるとしたら、きっと自分と歩いた懐かしい<この道>なのだろうと詠んでいる。亡き妻に対し、たくさんの「道」を歩ませられなかったことへの申し訳なさも含んでいるか
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▼昨日が新盆の入りだった。明治期に採用した新暦に合わせ、7月の「新盆」でお盆を行うのは東京、神奈川など一部の地域で、8月のお盆休みといい、月遅れ盆の方が全国的には多数派である。お盆ばかりは東京のやり方が少数派なのが、ちょっとおもしろい。農作業の関係上、8月の方がお盆をやりやすかったとみえる
▼知らなかったが、四十九日法要の済んでいない仏さまはお盆に家に帰ることがまだできないそうだ。「あの世」に着いたばかりで行ったり来たりさせては気の毒ということなのだろう
▼それでも、亡くなったばかりの人をお盆に家に帰す方法がある。『遠野物語拾遺』に出ていた。奥州・遠野では新仏はその年のお盆の時期、お墓で墓守をさせられているため、家に帰ることができないと信じられていた
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▼そこでお盆の13日の夕方、お墓にヒョウタンを持っていき、置く。ヒョウタンが墓守を代わりに務め、新仏も家に帰ることができる-
▼決まりを破ってでも亡くなった人に会いたかったのだろう。ちょっと切ない「奥の手」である。
 
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