内山深さん
松本綾さん
中国の文豪、魯迅(ろじん)の絶筆は仮名交じりの日本文でした。
「十時頃ノ約束ガモウ出来ナイカラ甚ダ済ミマセン。御頼ミ申シマス、電話デ須藤先生ニ頼ンデ下サイ」。上海・内山書店の店主、内山完造に宛てたメモです。
結核を患う魯迅は1936(昭和11)年10月18日未明、激しい喘息(ぜんそく)に襲われます。日本人記者と午前10時に書店で会えないことを完造にわびた後、須藤五百三(いおぞう)医師の往診を求めていました。完造はすぐ手配しますが、魯迅は翌19日早朝、56歳で永眠しました。
内山書店を始めたのは完造の妻美喜です。日本語書籍中心の店を17年に開きました。上海の共同租界で暮らす日本人をはじめ、魯迅のように日本留学帰りの中国人、朝鮮人らも出入りして大繁盛。魯迅は27年、当時の国民党政権に追われて広州から上海に逃げ、書店に通うようになりました。
経営が軌道に乗ると、完造は書店の一角にテーブルと籐椅子(とういす)を置き、来客に宇治の玉露を振る舞い始めます。この空間は日中交流の「文化サロン」となり、上海を訪ねた谷崎潤一郎、金子光晴ら著名な作家も立ち寄りました。
魯迅は毎日顔を合わせる完造と親交を深め、サロン仲間に加わります。信頼する完造が紹介する日本人とは必ず会ったそうです。
内山書店は45年の終戦後、国民党に接収されました。再開を夢見た完造は美喜とともに、上海の万国公墓に眠っています。
アジア文化の「ハブ」に
完造と嘉吉の思いを継ぐ4代目店主、内山深(しん)さん(52)は「日本の人に中国を知ってもらいたい」との一心で、書店を発展させてきました。
来店する客の40%以上は在日の中国、台湾出身者と訪日客。日中をつなぐ書店は今も健在です。
内山書店は2021年、中国で「復活」しています。深さんから書店再開の悲願を聞いた趙奇(ちょうき)さん(41)がテレビ局を退社し、「内山書店」の商標権を得て運営を開始。天津に3店、広東省深圳(しんせん)で1店を展開しているのです。
そして今、日中をつなぐ新たな動きも注目されています。
中国の作家、許知遠(きょちえん)さん(47)と松本綾さん(37)が共同代表になり、東京・銀座1丁目に昨年8月オープンした「単向街(たんこうがい)書店」です。
「近代アジアの知識人」と題したトークイベントには約80人が詰めかけました。中国政府が「ゼロコロナ政策」を転換させた22年12月以降、日本への移住者が増え、在日コミュニティーの役割を担うようにもなっています。
中国の画家、書家らの作品を展示するスペースも設け、日本に紹介する計画です。松本さんは「この書店をアジア文化のハブにしたい。(絵画など)視覚的な情報も大切だから」と意気込みます。
出会いが理解を深める
内閣府が今年1月に発表した世論調査によると、日中関係を良好と思わない日本人が90・1%と過去最悪になりました。中国で14年に「反スパイ法」が導入されたことも影響し、新型コロナ禍があけても訪中する日本人は激減したままです。
ただ、今後の日中関係について「重要だと思う」と答えた人は68・2%に上ります。隣国との関係の重要性は変わりません。
日中の国交正常化から半世紀余り。関係改善の兆しは見えませんが、人々の往来を絶やさず交流を深めることが何より大切です。
まずは書店に足を運んでみたらどうでしょう。新たな出会いが、お互いの理解を深めるはずです。