1992年に福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が殺害された「飯塚事件」で、福岡地裁は再審開始を認めなかった。だが、警察に押し切られ、「記憶と異なる供述をした」とする新証言は重い。司法は再審の道を開くべきだ。
女児2人は登校途中に行方不明となり、翌日、約20キロ離れた山中で遺体で見つかった。
逮捕された久間三千年元死刑囚と犯行を結び付ける直接証拠は存在せず、本人は一貫して否認、無罪を主張したが、2006年に死刑判決が確定。その2年後に執行された。再審請求を準備中だったのに異例の早さで死刑執行したのはなぜか。まず、それが疑問だ。
第1次の再審請求では、当時のDNA鑑定の信用性に疑問があった。冤罪(えんざい)が明らかとなった足利事件と同じ旧式の鑑定手法で、再鑑定できる試料も残っていなかった。福岡地裁は14年に「(DNA鑑定で)ただちに有罪認定の根拠とはできない」としたが、他の状況証拠などから再審請求を棄却。最高裁も再審を認めなかった。
第2次の再審請求では、2人の新証言から状況証拠にも大きな疑問が浮かんだ。1人は被害女児の最後の目撃者とされた女性。確定判決は目撃現場で連れ去られたと認定したが、「見たのは別の日だった」と法廷で証言。警察に押し切られて「記憶と異なる供述をした」と述べた。
もう1人の目撃者は男性。事件当日に別の場所で、被害女児に似た2人が乗っていた車を見たが、運転者は元死刑囚とはかけ離れた風貌だったという。
特に、女性の証言は確定判決の証拠構造を揺るがす重みを持つ。「現場近くで紺色の車を見た」など別の目撃証言につながる重要供述だった。これが警察の調べに迎合した結果なら、元死刑囚が女児を連れ去ったとする事実認定は次々と崩壊してしまう。
しかし、福岡地裁は「新証言は変遷があり信用できない」「元死刑囚が犯人であるとの立証がされている結論は揺るがない」などと一蹴。再審を認めなかった。乱暴な判断ではないか。
誤判で死刑執行されたのなら、究極の人権侵害であり、取り返しがつかない重大な国家犯罪となる。「疑わしきは被告人の利益に」の原則で、司法は再審公判を開き、事件の真実に近づくべきではなかったか。
無実の人が死刑に処された可能性がある。その重大な責任に、司法が正面から向き合うことをためらったとしか思えない判断だ。
女児2人は登校中に行方が分からなくなり、山中で遺体が見つかった。車に乗せて連れ去り、殺害した後、遺棄したとして逮捕された元死刑囚は、捜査段階から一貫して犯行を否認し、関与を裏づける直接の物証もない。
それでも死刑判決は、血痕のDNA型鑑定や目撃者の証言といった状況証拠を積み重ねて有罪と認定した。最高裁が上告を棄却して確定し、2年後の2008年に執行されている。
しかし、有罪認定の根拠は確かでない。逮捕当時のDNA型鑑定の手法は、現在よりもはるかに精度が低かった。鑑定の誤りが判明して再審で無罪となった足利事件も、同じ時期に、同一の機関が同じ手法で行っていた。
今回の再審請求に先立つ第1次の請求で、福岡地裁は、鑑定結果を直ちに有罪の根拠とできないと認めている。有罪認定は実質的に柱の一つを欠いたことになる。けれどもなお、他の状況証拠から高度な立証がなされているとして、再審は認めなかった。
今回、弁護団が新たな証拠とした証言のうち1人は、死刑判決で女児2人を事件の当日、最後に見たと認定された女性だ。実際に目にしたのは当日でなく、警察に押し切られた供述だったことを、あらためて証言した。
女児たちがいつ頃どこで連れ去られたかを認定する根拠となった供述を、当事者自ら明確に否定したことは重い。地裁の決定は、新たな証言を「変遷があり、信用できない」と断じたが、一刀両断に切り捨てて済ませられない。
再審の判断をめぐって、最高裁は1975年の白鳥決定で、新旧全ての証拠を総合評価して確定判決に合理的な疑いが生じれば足りるとした。飯塚事件はもはや有罪認定が土台から崩れかけている。白鳥決定に照らし、裁判をやり直すべきなのは明らかだ。
確定判決をあくまでも維持することが、司法への信頼につながるわけではない。死刑が既に執行された事件の再審を認めるのは、裁判官にとって胆力が要るだろう。だからといって、自らの責任から目を背けてはならない。
刑事裁判の原則「疑わしきは被告人の利益に」に照らし、裁判所は証拠の検討を深めるべきだったのではないか。
再審開始を認めれば、死刑執行後では初のケースとなるため、判断が注目されていた。
焦点は、弁護側が提出した、被害女児を目撃したという男女2人の「新証言」の信用性だった。
確定判決で被害女児を最後に見たとされた女性は、実際に見たのは当日でなく、警察に促されて記憶と異なる供述をしたと証言。男性は、元死刑囚と違う外見の男が運転する車に被害女児に似た2人が乗っていたのを見たと述べた。
だが地裁は、捜査機関が女性の記憶に反する調書を作成する動機は見いだせないなどとして、証言は「信用できない」と断じた。
元死刑囚は一貫して容疑を否認していたが、確定判決は目撃証言や血痕のDNA型鑑定といった複数の状況証拠から有罪を導いた。
その後、1次請求審の地裁決定は、DNA型が一致したとの鑑定結果は当時の精度から「直ちに有罪の根拠とできない」と証拠力を否定。ただし、他の証拠で十分立証されているとして再審請求を退け、高裁、最高裁も支持した。
今回の地裁決定も「高度の立証がされている結論は揺るがない」としたが、直接証拠がない中、DNA鑑定の評価に続き、目撃証言にも疑義が生じたのに、結論の揺らぎがないのはなぜか。再審の門を閉ざす納得のいく説明が要る。
これら再審裁判では現行制度の問題点が指摘された。捜査機関が独占する証拠の全面開示と、検察の不服申し立ての禁止など、見直すべき点は多い。冤罪(えんざい)被害の速やかな救済へ再審法改正が急務だ。
確定判決から2年後に死刑執行された飯塚事件で再審が認められれば、死刑制度の是非に議論が及ぶのは必至だった。地裁決定に、配慮はなかっただろうか。
死刑執行後の裁判やり直しを初めて認めるかどうかが注目された。しかし、再審の扉はまたしても開かなかった。
福岡県飯塚市で1992年に小学1年の女児2人が殺害された「飯塚事件」で死刑が確定し、2008年に執行された久間三千年[くまみちとし]元死刑囚=執行時(70)=の第2次再審請求審で、福岡地裁は再審開始を認めない決定をした。弁護側は即時抗告する方針だ。
元死刑囚は捜査段階から一貫して否認し、再審請求前に死刑執行された。無実の訴えが真実だったとすれば、国家による究極の人権侵害が起きたことになる。真相はどこにあるのか。今回の決定を経てもなお霧が晴れたとは言い難いのではないか。
確定判決によると、女児2人は92年2月の登校中、ワゴン車で誘拐され、首を絞めて殺害された。遺体は福岡県甘木市(現朝倉市)の山中に遺棄されていた。94年9月に元死刑囚が逮捕されたものの、犯行を裏付ける直接的な証拠は見つかっていない。
第1次再審請求審を巡る14年の福岡地裁決定は、被害女児に付着した犯人の血液と元死刑囚のDNA型が一致したとする鑑定結果を「直ちに有罪の根拠とできない」としつつ、ほかの証拠で十分立証されているとして請求を退けた。福岡高裁、最高裁も支持した。
弁護側は今回、男女2人の新証言を踏まえ、元死刑囚は犯人ではないと改めて主張した。
証人の1人は被害女児を最後に目撃したとされた女性だ。確定判決は女性が当初証言した内容を根拠に、直後に目撃場所で連れ去られたと認定した。ところが、女性は第2次請求審で証言を翻し、実際目にしたのは当日ではなく、捜査機関に押し切られて記憶と異なる供述をしたと説明した。
もう1人は事件当日に目撃したという男性で、飯塚市内の別の場所で被害女児に似た2人が車に乗っていたと述べた。運転していたのは30代くらいの男。元死刑囚は当時54歳だった。元死刑囚の裁判を傍聴した男性は「犯人ではない」と確信したという。
福岡地裁は今回の決定で、2人の新証言を新証拠と認めた上で、「信用できない」と判断した。ただし弁護側が今回、地裁の判断材料となる新証拠を十分に検討した上で提出できていたとは言えないのではないか。
弁護側によると、地裁が送検時の証拠品目録を開示するよう勧告したにもかかわらず、福岡地検は拒否したという。新証言を補強する証拠を地検が出し渋ったと受け取られても仕方がないだろう。
現行の刑事訴訟法には、捜査機関が持っている証拠の開示に関する規定がない。再審請求審の進め方についても細かい定めがない。このため裁判所の審理の仕方がまちまちで、「再審格差」と呼ばれるような状態も生じている。
「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が形骸化していないか。再審手続きのルール見直しを急ぐべきだ。
事件が起きたのは1992年2月。飯塚市に住む当時、小学1年生の女の子2人が登校中に行方不明になり、現場から約20km離れた山中で遺体となって発見された。
事件から2年後の1994年、福岡県警は当初から捜査線上に浮かんでいた久間三千年(みちとし)元死刑囚(事件当時54)の逮捕に踏み切る。
逮捕の柱となったのは、DNA鑑定の結果と、犯人が使用していた車や少女たちの目撃証言などだった。
久間元死刑囚は、逮捕される前のインタビューで、「私は見ず知らずの人間」「私は2人と会ったこともない」と話していた。逮捕されて以降も、一貫して無罪を主張。しかし、1審、2審ともに死刑判決を言い渡され、2006年、最高裁で死刑が確定。わずか2年後の2008年に執行された。
久間元死刑囚の妻は、2度目となる再審「裁判のやり直し」を求め、審理が続けられていたのだ。
目撃女性「調書は誘導された」と主張も
これまでの審理で弁護側は、女の子2人を最後に目撃したとされる女性が「見たのは別の日だった」「調書は誘導された」などと証言をひるがえしたことや、新たな目撃証言を提出していた。
しかし、この日の裁判所前で掲げられたのは「不当決定」の旗。請求は棄却されたのだ。
決定文によると、福岡地裁の鈴嶋晋一裁判長は「Oさん(=証言者)の供述は変遷しており、一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられない」と指摘。
「調書は誘導された」という主張に対しては「調書が作成されたのは捜査初期の捜査が流動的な状況下で、捜査機関が無理に記憶に反する動機、必要性が見い出せない」などとし、証拠とは認められないとした。
「きょうの決定というのは、我々にとって最悪のパターン」と、記者会見に臨んだ弁護団の表情には、やるせなさと憤りが漂っていた。
「この証言の価値を認めて再審開始することが、我が国における死刑制度の根幹を揺るがしかねないという、そういう思惑に縛られて2人の人間としての良心に基づく貴重な証言の価値を認めようとしなかった」と述べた。
なぜ?福岡地裁は再審請求を“棄却”
2度目の再審請求でも「裁判のやり直しを認めない」という結論になったが、そのポイントは2つ。
まず、女の子2人を最後に見たとされる女性が証言をひるがえした点。今回「見たのは別の日だった」「警察に調書を誘導された」と新たに証言したが、福岡地裁は「女性の記憶は一貫性のない不確かなものである可能性が高く、信用できない」などと指摘し、証拠として認めなかった。
そして、弁護団が新証拠と主張していた別の目撃証言。「元死刑囚とは年齢や体格の異なる男性が、女の子2人を乗せた車を運転していた」と今回、証言していたが、裁判所は「不自然な感が否めず、到底、信用し難い」として、こちらも退けた。
決定について検察は「裁判所が適切な判断をされたものと考えている」とコメントしていて、弁護団は即時上告するとしている。
(テレビ西日本)
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